第二章 旅烏の葛藤②
フィリピンの首都マニラのニノイ・アキノ国際空港に着いた僕は、いきなりカルチャーショックにやられていた。早朝4時にソウルのキューちゃんの自宅を出たものでずいぶん寝不足だったが、空港を出たら身を纏う熱くてモワモワした空気感に一気に目が覚めた。韓国と違いフィリピンとなると急に緊張感が増す。
翌日のフライトでフィリピンで2番目に大きいミンダナオ島の最大都市ダバオに向かうため、今日一日はどこかで時間を潰さなければならない。初めて来たマニラは右も左もわからない。とりあえずあまり遠くへ行かず、空港の近くで宿を探すことにした。
本来であれば宿をネットで予約し、そこまでの行き方を調べ、バスなりタクシーなりで向かうのだが、めんどくさがってしまいそういう事をやらずにマニラに降り立ってしまったのだ。WiFiに接続して予約するという手段も当然ある。しかし国際空港といえど無料WiFiはなく、諦めて歩いて探すことにした。
マニラは南アジアでも屈指の治安の悪さで有名である。フィリピン国中から人が殺到し、一部では慢性的な貧困も問題になりスラムも存在するし、それにくわえて銃社会でもある。
「外国人に対しては、全員ぼったくる気で来る」
「マニラでは誰も信用するな」
「夜は決して出歩くな」
「裏道には行くな」
マニラに行った旅人から聞いた話だけでなく、ネット上でもこのような恐ろしい言葉をよく見聞きした。
さしあたり問題は空港からどのように街中へ行くか、である。バスは乗り方がよくわからないし、タクシーはボッタクリの危険性がある。どうしたものかと探していると、ちょうどシャトルバスが出るようだった。空港から出られるならどこに連れていかれても良いや、ととりあえずそのバスに乗り込んだ。
しばらくすると、すぐに賑やかな通りに出た。道は大渋滞を起こしている。日本のようにピタッと列をなして走行するわけでもなく、一見すると無秩序に走っているように見えた。だが、フィリピン流のルールに則って一応走っているようだ。道路脇ではお祭りのように人が溢れている。一体何をしているのかわからないがとにかく歩いているでもなく、ただ道路脇に人がたくさんいるのだ。
15分ほど乗ったところで降ろしてもらった。重たいバックパックを背負って歩くのは大変である。早めにホテルを探さなければならない。しばらく歩き回ってふいに目に泊まったホテルに入ってみると、一泊およそ810ペソだという。フィリピンペソの計算は簡単で、およそ2倍にすれば良い。つまり日本円では1620円ということになる。フィリピンのホテルの相場感がわからないが、もう少し安いところを探してみることにした。
しかし人が多いし車も多い。これがマニラの日常なのだろう。響き渡るクラクションの音と排気ガスの匂い、そして道にはゴミがたくさん捨てられている。心なしか臭いような気もする。たまたま通りかかった川を覗くと、お菓子のゴミやペットボトルのゴミが散乱していた。日本においてはこういった景色は非常に稀であるが、朝5時の歌舞伎町や、大阪西成に限っては一部でこういった光景を見ることができる。
マクドナルドの店の目の前では、色とりどりのビニールシートがひかれ、その上には雑貨やサンダルなどが並んでいる。言うなれば渋谷のセンター街のマクドナルド前で露天商が何かを売っているようなものだろうか。フィリピンのマクドナルドはとても寛大なのだろう。
よく見るとおもちゃやお菓子も売っている。露天商の人は制服などではなくTシャツと短パンとサンダルといった出で立ちで、客もまた同じである。売っている人と買っている人と、マクドナルドに出入りする客と暇そうに立っている人、そして立ち話している人が同じ場所に同じ格好でゴチャッといるものだから、何が何だか理解が難しかった。その脇では子供が全裸で走り回っている。どう見ても混沌そのものである。
そんなフィリピンの生活感あふれる風景を見ながらいろんな所を歩き回ってみたが、結局目ぼしいところはなく、最初に見つけたホテルに泊まることにした。ホテルの前に戻り、よく見てみるとピンク色の壁に【WELCOME HOTE】と書いてあった。【L】が取れてしまっているようである。怪しげな薄暗い入り口を入り、これまた薄暗い受付でお金を支払うとおばちゃんがポイッと鍵を投げてくれた。二階に上がり、204号室に入る。
中を見渡すと、決して綺麗ではなかった。むしろ人によっては汚いと感じるだろう。これまで野宿などしたことがある経験から、外よりはマシだな、と思った。ベッドには米粒ほど小さなゴキブリがいる。まあ…寝れなくはない…。シャワーは当然のように水である。最初こそ「ウッ」と思わず声が出そうにはなるが、体が冷えたことにより熱を出そうとするからなのか、むしろ浴び終わると少し温かくも感じた。
翌朝になり、少し早く起きて街に出てご飯を食べた。わずか60ペソでライスとスープのようなものが食べられる。この物価の安さは非常に魅力的である。それにフィリピンの料理は美味しかった。日本人の口にはとてもよく合う。
食後に空港へ向かい、国内線でダバオへと飛んだ。世界一周の旅の始まりとして、実は1つだけやろうと思っていたことがある。それが【フィリピン語学留学】である。自身の英語については、ケイティのおかげもあり会話らしい会話ならそこそこ出来る程度にはなっていた。ただし、込み入った話などはやはり難しかったし、そもそも基礎的な部分がすっぽり抜けていたため「このままで良いのだろうか?」という不安があった。そこでダバオにある語学学校に1ヶ月だけ行ってみることにしたのだ。
空港につくと学校のスタッフが迎えに来てくれた。車に乗り学校へと向かう道はマニラと違い、広くてすいていた。田舎とまでは言わないが、地方都市のような装いである。フィリピンには数え切れないほどの語学学校があるが、E&Gという語学学校へ通うことにした。決め手は「なんとなく」である。マニラやセブの語学学校は人が多いと聞いたため、なんとなく人が少なそうなところを選んだ。
学校の前には海があった。泳いだりはできなそうだが、桟橋があって夜は星を眺めてビールを飲んだりしてもいいかもしれない。職員室のようなところで入学手続きを済ませ、寮内を案内してもらった。2階建ての寮で部屋は思ったより綺麗だ。自炊などはできないが、それなりに快適に過ごせそうである。その後スタッフの一人であるマネージャーから「名前はどうしますか?」と言われた。その学校ではイングリッシュネームを付けなければいけないらしい。韓国人と日本人がそれぞれ名前を呼びやすいようにするためだという。
「本名そのままでJUNはだめですか?」
「JUNはすでにいるんですよー」
「ジェイはどうですか?」
「それもいるんですよねー」
「えー…どうしましょう…」
「DAVIDはどうですか?デイビッド」
「デイビッドですか?デイビッドぽいですか?僕」
「まあなんでもいいんですよ」
知らなかったのだが、デイビッドという名前はそこそこ一般的なものらしい。イングランド代表のデイビッド・ベッカムが有名だが、なんだかこそばゆかった。E&Gでは同じタイミングで入学する人は同期ということになるらしく、ノーラさん、ベルさんなどがいた。年上の日本人女性だ。イングリッシュネームのあとに”さん”をつけるあたりとても日本人らしいなと自分でも思ったが、みんなそうしているようだった。
E&Gのルールは簡単なものだった。敷地内禁煙・飲酒禁止、母国語禁止、男は女子寮への進入禁止、外泊禁止、などごく当たり前のものだ。授業は高校などと同じでお昼を挟んで午前と午後、ライティング、リスティングなど分野別にカリキュラムが組まれている。先生はすべてフィリピン人。食事は3食出るようだが、すべて韓国料理とのことだった。
今日から1ヶ月間英語を学ぶわけだが、正直そこまでストイックにやっていくつもりはなかった。1年間ケイティと喋り続けたことである程度は出来るから旅にはそこまで困らないだろう、という事もあるが、1年やって来たからこそ【1ヶ月でどのくらい伸びるか】も肌感でわかっていた。よほど頑張らない限り劇的変化は無理だろう。どちらかと言えば髪を切ることを優先したい。だからそこそこ学べれば良い、くらいの気持ちでダバオにやってきたのだ。
しかし、大人になってから学校に通ったり大人数で寮生活をすることになるなんて思いもしなかった。学生時代に寮に住んだこともないため、そこは少し楽しみであった。入学の手続きと案内が終わり、しばらくブラブラとしたあとに、夜はスタッフと生徒が歓迎会を開いてくれた。というよりみんなで飲みに行くついでに歓迎してくれたような形だったが、お酒の力を借りてすんなり輪に入れたのはありがたかった。学校の目の前になぜかBARがあり、価格も非常に良心的でビールが安い。これは今後ついつい入り浸ってしまいそうだ。