第二章 旅烏の葛藤③

第二章 旅烏の葛藤③

 E&Gに入学してすでに1週間が経つ。ダバオの学校はマニラの学校とくらべて静かで落ち着いていて、日本人が少ないと聞いていたが、E&Gには常時20名ほどの日本人が滞在しているようだった。せっかく海外に行くのだし、日本人とあまりつるむようなことはしたくないと当初は考えていたのだが、話してみると皆良い人ばかりである。英語学習という共通の目的があるからなのかもしれない。

 フィリピン留学に来たことは正解だと思った。何より物価の安さが魅力的なのである。外食しても1食120円、ビール1本50円、タバコ1箱50円と、日本と比べるとかなり安いのだ。留学費用にしても、アメリカやカナダに留学する場合は1ヶ月11000円の授業にプラスして宿代、光熱費、食費などがかかる。しかしここは1ヶ月約110000円で授業費用、さらに寮代、食費も込となっていてる。

 また、カナダやアメリカでの語学理由はグループレッスンがメインで、例えば15人でひとつの授業をうけたりするらしい。対してフィリピン留学は1日8時間の授業のコマのうち、半分は先生とのマンツーマンのレッスンとなる。上達の差は人それぞれとは言え、マンツーマンで教えてくれるスタイルのほうが身になりそうである。

 フィリピンに来てからというもの、授業にしろそれ以外の時間にしろ、本当に英語ばかりだ。授業は難しく、それなりに苦戦しながらもなんとかやれている。授業以外の時間帯は学校敷地内では母国語禁止、つまり英語だけで会話しなさいというルールがあるが、実際は多くの人が普通に日本語で話していた。話したい事が話せないもどかしさ、授業の疲れなどもあるのだと思う。韓国人は韓国人と韓国語で、日本人は日本人同士で会話するという状況が自然と生まれ、なんとなくそこには言語の壁がある感じがした。

 中には日本人同士でも頑なに英語で話そうとする女性もいたが、なんだか僕はその人が苦手だった。決まりは決まり、と正論を言うことは一切間違ってはいないのだが「別にちょっとくらいいいじゃん」が通用しない、融通の効かなさは少々窮屈だ。逆にそういう真面目すぎるタイプの人は僕のような雑な人間は鼻につくようで、経験上あまり仲良くはなれない。

 その人に限らず、ストイックかどうかで言えば基本的に皆ストイックである。フィリピン留学に来ている人は実費でお金を払って来ていることに加え、英語を話したいという明確な目標があるからこそみんな勉強をとても頑張るのだ。考えてみれば当たり前のことなのだが。夕食の時間が終わり、その後深夜まで自主勉強をしている。見ていて本当にすごいなと思った。そう、僕は自主勉強をしなかったのだ。

 そんな中気の合う仲間も数名出来た。その人達はやる気がないわけでは全く無いのだが、どこか抜けている感じがあった。そういう人は大体ワーキングホリデーなどで多少英語をかじっているため、そこまで上手くはないが何となくすでに話せる状態ではあり、それ故に本気度のようなものが低いのかも知れない。僕もまた、その1人だった。

 学校生活は総じて言えば楽しい。ご飯も毎食キムチがつく韓国スタイルではあるものの、バリエーションは豊かで飽きはしない。授業も工夫されていて楽しかった。しかし、集団生活というものはとにかく疲れる。どこか逃げ道と言うか、息抜きがほしいと早い段階から思うようになった。子供の頃からいろんな人がいすぎる学校社会が得意ではなく一匹狼を気取ったりしていたのだが、大人になって、しかもそれがフィリピン留学でもなんら変わっていなかった。

 そういった背景もあり、休みの日、昼休み、夕飯前後の自由時間などは比較的1人で行動することが増えた。グループで買い物に行ったり、飲みに行ったりする人が圧倒的に多く、たまに混ぜてもらったりはしたがそれで十分だった。

 ある日の昼、ジッとしてると嫌になるほどムンムンと熱い気温の中、あえて学校敷地内にあるバスケットコートで1人でバスケをしていた。僕は小中とバスケをしていたため、なんとなくこんなに暑いならいっそ運動でもしてみようと思ったのだ。すると1人のフィリピン人の男の子が声を「一緒にバスケをやろう」とかけてきた。しばらく1on1をやっていて思ったのだが、彼にはビーチサンダルとはとても思えないスピード感と瞬発力があった。なんというか、ビーチサンダルでのバスケにとても慣れている。そしてウマい。

 名前はドドン。幼く見えたため10代かと思ったが、年齢は24歳でダバオの出身だそうだ。息を切らせながら、ようやく自己紹介をお互いにした。ドドンは今この学校に住み込みながら、ドライバーや掃除など運営の裏方の仕事をしているという。

「同僚がいるから、紹介するよ!こっちおいでよ!」

 ドドンについていくと、学校の裏のようなところについた。生徒が使用するエリアとは少し離れていて、生徒は来ないような所だ。そこにはタバコを吸っているフィリピン人の青年が2人いた。

「Hello. I’m…」

 そこまで言いかけて”JUN”と名乗るべきか”DAVID”と名乗るべきか瞬間的に悩んだ。彼らは要は用務員さんみたいなものである。イングリッシュネームとか関係ないか、と「I’m Jun. Nice to meet you.」と挨拶をし、日本から来たこと、まだ来たばかりであることなど一通り説明をした。彼らは英語はペラペラとまでは言わないが、普通に会話ができコミュニケーションもとれる程度には話した。ただ現地のビサヤ語なまりが強く、時折なにを言ってるのか聞き取れないことがあった。

「ジュン、キミは初めての外国人の友達なんだ。仲良くなれて嬉しいよ。フィリピンから帰る前に何かお互いの身につけてる物を交換しよう。そうすれば違う国にいてもきっと忘れないから。」

「ありがとう。ぜひそうしよう。」

 彼らはお世辞にも裕福そうには見えず、むしろ生活に困ってるような雰囲気もあったし、ドドンの同僚は離れて暮らす子供に仕送りをしなければならないから生活は苦しいと話していた。彼らからしたらフィリピンに語学留学にくるような外国人の僕は、裕福に見えるのだろうか。僕が何か力になれるわけではないのだが「髪の毛なら切るから言ってね!」と伝えた。また改めて飲みに行こうという話になり、次の週末にオススメの安い店に連れて行ってくれるという。楽しみである。

 

 世界一周ヘアカットの旅に出たものの、韓国でもマニラでもまだこれと言って具体的な活動はしていない。今は語学学校に通っているとはいえ、もう少し何とかならないだろうか。学校終わりにダバオの町中に行けないわけではない。ただ、いかんせん【どのように人の髪を切ったら良いのか】がわからなかったのだ。通常、人は髪を切りたいと思ったら美容室なり理容室なりを探すが、間違ってもそのへんをフラフラしている外国人に頼んだりはしない。僕が逆の立場なら絶対にしない。

 出国前に考えていた方法は、宿の人に事情を話し、宿の一角を借りて簡易美容室をオープンさせること。そして街でビラを配り、簡易美容室に来た人をカットするというものだった。作戦としては悪くない気がしたが、手間はかかりそうだし、学校との両立は難しそうだ。どうしたものだろう、と悩んでいたが日々授業と宿題、そして旅を始めて書き始めたブログがあり、やらなければならないことに忙殺されかけていた。

「ねえ、どうしたらいいと思う?」

喫煙所で仲良くなった日本人の学生に聞いてみた。1つ年上だったが「タメ口でいいよ」と言ってくれた彼は、なぜか語学学校にスケボー持参で来るという変わり者だった。ワーキングホリデーに行っていた経験があるとのことで、やはり程々のやる気で授業を受けていた。そのあたりで気があったのかも知れない。

「えー、その辺歩いてるフィリピン人に声かけるとか?」

「やっぱそうかな?なんて言って声かけたら良いんだろう。髪切らせてくれって変なわけのわからない外国人に声かけられたらどうする?」

「無視するね。笑」

「でしょ?意味わかんないもん。笑」

「じゃ、学校の先生とかは?フィリピン人だし。」

「おお、確かにそうだ。授業終わりにゾロゾロ出てくるところで声をかけてみるか…」

 確かにフィリピン人の先生にお願いしてみるというのはいい気がしたのだ。少なくとも【変なわけのわからない外国人】ではない【変なわけのわからない生徒】である。まだマシだと言えばその程度ではあるが、かすかに希望は見える。

「デイビットさん、髪切れるんですか?」

「え、切れますよ!美容師なんで」

「マジですか?僕の髪切ってくれません?」

「え…ほんとに?」

空港に迎えに来てくれたマネージャーさんが声をかけてくれた。喫煙所で話しているのが聞こえたようだった。マネージャーは数ヶ月前に語学留学に来て、そのままアルバイトのような形で残り、マネージャー業務をやっている青年だった。年齢は22歳で僕より年下だが、真面目でしっかり者である。数ヶ月フィリピンにいるから、いい加減日本人にカットしてほしいと思っていたらしい。

「もちろんですよ!切りましょう切りましょう!」

 自分の中で世界一周中に日本人の髪を切った場合カウントするべきかしないべきか、という問題があり、正直出国前はしないつもりで考えていた。しかしもうすでにこの旅の難しさをヒシヒシと感じている。そんな事を言っていれば何年経っても日本に帰れないような気さえする。問答無用で日本人も1000人に含むことにし、ありがたくマネージャーの髪を切らせてもらうことにした。