第一章 生きてる実感①

第一章 生きてる実感①

 昼下がりの誰もいないリビングに声が響く。
「それでは旅のプランを教えてください」
「はい。まずは韓国に行って、その後はフィリピンに行って…あとは全然決めてないんですけど、ひたすら西に行きます。だいたい1年で周ってくるつもりです。お金もないのでね。」
「ハサミを持っていって道中髪を切るんですか?」
「そうなんですよ、けどどうやって切ったらいいかなぁって考えてるところで。宿の一角を貸してもらったり、どこかのお店の一角を貸してもらったりそんな事も考えています。」
「料金はもらうんですか?」
「いやー、もらえないんじゃないですか?無料でも良いんですけどお任せにしようと思います。」
「…はい、オッケー。ありがとう。」

 東京・中野新橋駅近くにある新聞屋を改造した変わった作りのシェアハウスで、ハウスメイトが趣味でやっているラジオ用の音声を撮った。これからハサミを持って世界一周の旅に出る僕の話を聞きたいと言ってくれたのだ。ハウスメイトから質問されて答えてるうちに、だいぶ曖昧なプランだということを痛感した。どこへどう行くかもわからないし、そもそもそんなにお金もないし、あまりにザックリとしすぎている。こんなのでラジオを聞く人は面白いのだろうかと不安になった。

 第一、世界の路上で1000人の髪を切ってくるなんて事が本当にできるのだろうか?という疑問があった。というか、どちらかと言えば無理だろうと思っていた。いつどこでどうやって切ればいいかわからない。参考にできるものもない。なぜなら故郷の山梨でも東京でもそんな事をやってる奴は一人も見たことがないからだ。

 それに1年間で一体いくらお金がかかるのか、想像もつかない。【世界一周 旅費】と検索し、いろんな旅人のブログを見てみると200万とも300万とも書いてあった。安月給の美容師だった僕にはそんな大金は夢のまた夢。それでも100万円はなんとか貯金したのだから頑張ったほうだと思う。

 毎食もやしと3食100円のうどんをレンジで温めて食べて、お茶も買わずカルキ臭い水道水をペットボトルに入れて飲んだりして節約して貯めたお金だ。一応海外旅行保険に入って、多少準備品も購入した。あるブログによると準備に100万かかったと書いてあった。馬鹿を言え、それだと準備だけで終わってしまう。

 持ち物はあるものでなんとかすることにした。ヒートテックも買わない、靴もバッグもあるもの。あとは100円ショップでほとんどを済ませ、大きな買い物と言えばASUSの1万円ちょっとのタブレットくらいだった。旅の様子をブログに書こうと思い買ったものだった。

 それらの出費があったため最終的には86万円ほどの軍資金で旅をすることとなった。髪を切る以前にまともに旅ができるのかも怪しい。まだ日本を出てもないのにすでに風前の灯火感さえある。非常に心もとない。

 僕はつい先日まで東京・渋谷区にある笹塚駅で美容師をしていた。十号通り商店街というローカルな通りの中程にあるこれまたローカルな美容室に勤めていた。ちょうど1年近く前の2013年5月に、社長に「海外に行きたいんです。辞めさせてください。」と話をし、2014年の3月いっぱいで辞めさせてもらうことが決まったのだ。

 スタイリストとしてその会社で1年半働いていた僕は、良いお客様にも恵まれ、それなりに美容師としてやってはきていた。だが正直ずっと生きづらさを感じて悩んでいた。いや、それはその会社だからどうという話ではなく、そもそも子供の頃からよくそういう風には感じていたのだ。

 「なぜ日本はこうなのか?」という漠然とした疑問があり、しかし何が【こう】なのかを言語化することが出来ない。何かが不満で、何かが嫌だった。僕はそれを知るために外に出る必要があると感じていたのだ。一般社会に対する疑問もあったが、美容師として美容業界に対しても様々な疑問を持っていた。

「何でこんなに働くの?おかしくない?」

「みんな辞めていく業界って何なの?」

「なんで朝から晩まで働いて安月給なの?」

「美容師は好きだけど、生きてて辛くない?」

 果たして外の世界の美容師達はどうやって生きているのだろう?という事を無性に知りたくもなったのだ。

 3月末に美容室を退社する直前、最後に会いに来てくれた多くのお客様から御守りを頂いた。皆さんに気にかけてもらえて、本当にありがたいことだった。この御守りは、準備費用節約のために母からもらった28ℓのバックパックの右ポケットにくくりつけて、一緒に海を渡ることにした。30年ほど前に母が山登り用に使っていたおさがりだ。

 出国は4月の15日、気がつけばもう間もなくだ。退職してからは仲の良い友達に会ったり、去年末まで1年間ほど住んでいた中野新橋のシェアハウスに遊びに行ったりもした。ラジオの音声もそのついでに撮ってもらったのだ。会う人会う人みんなが笑顔で送り出してくれる。「気をつけていってこいよ!」その一言に背中を押されているようで、少しずつこれから世界を旅するんだということを実感しつつあった。

 

 「Jun are you going?」出国も目前に迫ったある日の夜、日野駅前の立ち飲み屋みのるでケイティが下唇を少し出しながら上目遣いにそう言った。みのるは行きつけの安くておいしい居酒屋だ。若い店長とアルバイトの女の子がフレンドリーで、日野駅から夕方になれば吐き出されるように出てくるオジサン達をいつもキレイに吸い込んでいる。ある日、焼き鳥のいい香りに誘われ立ち寄ってみた所、常連のオジサンともすぐに意気投合してしまい、気がついたら僕らもそこを通れば当たり前のように吸い込まれる常連になっていた。

 ケイティはイギリスのマンチェスター出身で、駅前の塾で英語を教えている先生だ。同い年の25歳。日本に来てまだ2年も経ってないらしいが、なぜか日野に住んでいる。「なぜか」と言うのは、日野を決して馬鹿にするわけではないが、東京にはもっと他に魅力的な街があるだろうと思うからだ。僕の第二の故郷下北沢なんかはサブカルの町で、歩いているだけでも楽しい。それに比べて日野はどうだろう。特に何もないし中央線の特別快速も止まらない少し辺鄙な駅だ。長年東京に住んだ玄人ならまだしも、東京移住ホヤホヤの人が住むようなところではない。

 僕はそんなことを言いつつも、今年の頭から日野駅から徒歩10分ほどの所にあるケイティの家に転がり込んでいる。旅の資金を貯めるため、居候したらどうかという彼女の提案を飲み、お言葉に甘えてお邪魔させていただいたのだ。職場の笹塚駅まで通勤1時間とはいえ家賃が丸々浮くのは非常に大きかった。それに住めば都という言葉があるが、多少の不便さは実際は気にならなかった。むしろ地方の装いと言うかどこか田舎っぽくてフレンドリーな人が多く、立ち飲み屋みのるでの居心地はよかった。

 彼女とは付き合って1年くらいが経つ。会話は基本的にほぼほぼ英語である。ケイティは最近は事あるごとに「ほんとに行くの?」「やめたら?」などと言ってくる。本当に申し訳ないがもう仕事もやめたしチケットも取ったし、今更行かないわけにもいかない。僕はウーロンハイを飲みながら「Sorry」と言うだけだった。そうすると「あっそ」といった感じで彼女もウーロンハイを飲む。冷静にふと、お茶で割った焼酎を飲むイギリス人なんて他にいるものなのだろうか、と気になった。

 ケイティと出会った頃、僕はいつか海外に行くために必死で英語を勉強していた。しかし23歳の時点で中1で習うはずのBe動詞がなんだかサッパリわからないという絶望的な英語レベルだったのである。中高時代に不真面目の極みみたいな学生生活をおくっていて、英語は学ぶことを早々に諦めて辞めてしまっていた。高校入試英語19点という不名誉な記録は、汚点を超えてもはや自慢になっていた。タイムマシンがあったら間違いなく過去に戻って「遊んでないで勉強しろ!この馬鹿!」と説教する。正直後悔していた。

 ある日友達と歌舞伎町の居酒屋で飲んでいたら突如救世主が現れた。それがケイティ、マヨ、エミリーのヨーロピアン女子3人組。ランゲージエクスチェンジという、語学を教えあう人を募集するネットの掲示板で知り合ったオランダ人のメル友マヨに「Drinking.Shinjuku.come」と酔った勢いで知ってる単語を並べて送ったら「OK」と本当にやって来たのだ。日本語に直訳するならば「飲んでる。新宿。来い。」である。普通なら相手にされないなめ腐った文面だが、こちらが英語についてド素人なことはわかってくれていたようで来てくれた。

 だがいざそうなると焦ってしまった。僕も友達も英語が全く話せない。さらにケイティとマヨも日本語が話せないという。かろうじてエミリーだけは少しだけ日本語が出来た。エミリーの拙い通訳でなんとかかんとかコミュニケーションをとってみる。初対面にもかかわらず互いに自己紹介もままならないのだから、普通に考えたらかなり絶望的な状況である。しかし酒の力を借りると不思議となんとかなってしまうからすごい。なにを話したかはサッパリわからないが、とにかくその日は楽しかった。

 ラインを交換し、その後も彼女達とはよく会って飲むようになった。一向に僕の英語力は上がらなかったけど、これまでにはなかった充実感のようなものがそこにはあり「やっぱ世界は広い!色んな国に行ってみたい!国際交流最高!」とより強く思うようになったのだ。

 ある日ケイティと2人きりで下北沢駅で飲みに行った帰りに改札前で急に何かを言われた。僕の耳では聞き取れずキョトンとしていると「YES⁉NO⁉どっち⁉」と彼女が叫んだ。僕は思わず「え、あ、Yes Yes Yes!」と答えたら、ニコっと笑って「じゃあね」と改札に入っていったものだから、理由もわからず手を振るしかなかった。しばらくすると「I love you」とメッセージが来た。まさかと思ったが、そういうことだった。後で知ったことだったが「私のボーイフレンドになって」とどうも言っていたらしい。それをまったく理解してなかったという事実を知った彼女は僕をボコボコと殴った。

 かくして、日本語が話せずたいして勉強する気もないケイティと、勉強はしたいけど英語の基礎知識ゼロの初心者同士でなんとかコミュニケーションをとらなければならないという日々が始まった。だが僕にとっては有り難いことだった。生の英語をネイティブから学べるなんてすごいことである。しかも中高時代に変に学ばなかったおかげで発音や文法にもおかしなクセがなく、子供が言葉を学ぶようにドンドン吸収することが出来た。タイムマシンがあったら過去に戻り「キミはそのままでいいんだよ。さあ、存分に遊びなさい。」と言ってあげたい。

 語学の先生であり、彼女でもあるケイティに「実は仕事をやめて世界一周の旅をしたい」と意を決して言ったのは去年の年末のことだった。会社には辞めると言っていたものの、どうも言い出せずにいたのだ。旅ではなくワーキングホリデーもいいのではないかと迷っていたのもある。オーストラリアあたりにワーキングホリデーをする形なら、まだ彼女との関係性も維持しやすい気がしていたからだった。しかしやはり旅をしたいと思い、ようやくそれを話した時には泣かれてしまった。

 申し訳ないと思ったが、僕も僕の人生だ。自分勝手なことを言ってることは承知しているが、行かないでと言われても首を縦にはふれなかった。その代わり、こんな提案をした。

「12月のクリスマスにイギリスに行くからそこで会わない?」

 イギリス人にとってはクリスマスは日本で言うところのお正月のようなもので、家族と一緒に過ごす文化らしい。そのためクリスマスシーズンには実家に帰省するかもしれないと以前話していた事を思い出したのだ。「4月に出発して12月までにイギリスに行くから、そこで会おうよ。ご両親にも挨拶をしよう。」そういうとケイティも渋々納得したようだった。

 それから特に具体的な話が進まないまま僕は美容室を退職し、あれよあれよと出発間近になってしまったわけだ。みのるでウーロンハイに酔ったケイティが「やっぱ行かないでよ」とゴネてくるが、僕も酔ったふりをして適当に誤魔化した。それを見かねた店長が「じゃあね、これ貸してあげますよ。大事なものだけどね。」と、いつもつけているバングルを差し出してきた。つまりそれをつけて旅をし、返すために必ず日野に戻ってこいということだった。なんだかすごく信用されてるなと感じたのと、店の人も常連さんもケイティのことを気にかけていて、その優しさに嬉しくなった。